モロッコ フェズの位置 右やや下 Fes (フエス) と書かれています・・
2007年02月
モロッコ フェズの位置 右やや下 Fes (フエス) と書かれています・・
ハッサン二世通りの宿の前に到着・・
宿の名は DE LA PAIX (デ・ラ ペ)HASSAN2 FEZ
夕刻 フェズの街に到着・・
夕日の街道を東へ フェズへ ひた走り・・
バスの後ろから 夕日です・・
夕日の街道をフェズへ・・
いよいよメクネスの街を離れます フェズへ・・
メクネスの下町を走る・・
メクネスの街を走ります・・
街を抜けてフェズへ・・
メクネスの街を抜ける・・
メクネスの街に別れを告げフェズに向かいます・・
マンスール門の前の広場では大道芸人が何かを演じ群集が集まっています・・
斜陽に翻るモロッコの国旗・ 王国だけに国旗が大好き・?
メクネス・マンスール門にて・
今回のモロッコ 2007 全行程のツアーガイドさんと一緒に・・
ガイドさんの口癖は 「まいった・まいった!」 朝の挨拶でも
「ミナサーン オハヨございま~す キョウも トテモ よい天気! まいった・まいった!」
北アフリカ一美しいと言われるマンスール門の前の広場にて・・
メクネス・マンスール門の前で・・
ムーレイ・イスマイル霊廟・・
in メクネス
(17世紀アラウィー朝のムーレイ・イスマイルの王都です。理想の都とするため王宮やモスク、泉水、庭園、城壁など50年にわたって建設が進められました。美しいタイルで彩られたマンスール門やイスラム芸術の粋を集めたとされるムーレイ・イスマイル廟は必見。しかし一歩町をでれば、周辺はオリーブやぶどう畑がひろがる肥沃な農業地帯。ゆっくりとした時間が流れています。)サイトより・・
自然光が美しく採り入れられている・・
モロッコで最も美しい霊廟と讃えられるムーレイ・イスマイル廟・・
(メクネスの最盛期は17世紀、ムーレイ・イスマイルとともにやってきました。1672年にアラウイー朝の後継者となったこのスルタンはメクネスに都をおき、次々と巨大な城壁、壮大な門、モスク、穀物倉庫、カスバなどを建てました。噂によると500人の妻、12,000頭の馬、30,000人の奴隷を持っていたといいます。
彼は同時代に君臨したフランスのルイ14世に憧れヴェルサイユ宮殿が好きでした。そしてメクネスを第2のベルサイユにしようと都市の建設を進めたのでした。そしてフランス国王ルイ 14世の娘との結婚を望みましたがルイ14世は拒否したということです。その代わりにルイ14世はムーレイ・イスマイルに4つの置き時計を送ったということです。現在それらはムーレイ・イスマイル廟の中に置かれているということです。) サイトより・・
寸景・ メクネス・ムーレイ・イスマイル廟にて・・
寸景・メクネス・ムーレイ・イスマイル廟にて・
寸景・・ メクネスにて・・
コウノトリは高いところに巣を造る・・ in メクネス
一度乗ってみたい観光用馬車・・ in メクネス・
ココから以下三箇所は同じ広場にて・・ in メクネス・
子供は何処でも可愛い・・ in メクネス・
モロッコ 2007 メクネスで・・
どーんと出てきた昼食のタジン鍋・
イカにいろんなモノを詰め込んであります・・
アツアツで 結構美味しかったです・ ビールが合うよね~
自分の皿に取り 改めて見直す・・ ^ ^
フェズへの道中で寄った 聖地ムーレイ・イドリス
(789年から開かれた古都)を望む・・
ムーレイ・イドリスを後ろに記念写真・・
今回 コノ町の端の道を走ったが中心地には這入らなかった・・
ヴォルビリス遺跡より ムーレイ・イドリスの展望地へ・・
ヴォルビリス遺跡をアトに・・
遺跡の眺め・・
ローマ時代の遺跡・・
1997年登録の 長閑なローマ遺跡・・
遥か奥の方に見えるラクダの形の住宅群は ムーレイ・イドリス・
遺跡の柱の上にコウの鳥が巣を造っている
コウの鳥は高い所が好きらしい・・
その柱の下の奥に見える住宅群は ムーレイ・イドリスの町の一部
コノ遺跡の専用のガイドさん・・
コノ地に人が住み始めたのは紀元前2世紀
紀元前40年以後 ローマ帝国の属領となり2万人の人が住んだ
18世紀の大地震で崩壊するが 1887年から発掘が開始された
・と「地球の歩き方」に記されている
遺跡の中で ある部屋の床にモザイク画のヘラクレスさんが・・
世界遺産 ヴォルビリスにて・・
フェズへの道中で ヴォルビリスに寄りました
モロッコ のローマ時代の世界遺産です・
そこでロバさんに遇いました・・
道中 ここでも曜日を決めた露天市が開催されていました・
皆んな遠くから車や馬車や ロバに乗って来て集まっています・・
バスの窓から・・ 一緒に乗せて欲しいね・
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